アメリカ先住民ホピ族の村を訪ねて(前編)

SOCIAL | 2018.05.18 | Writer:

コミュニティとは?

この度、ヒューマンフォーラムが始める「web magazine」。これの第一弾として何がふさわしいのか?皆で考えてきた。
今、ヒューマンフォーラムでは街と田舎をつなぐ、mumokutekiの店舗と、mumokuteki ファームをつなぐ、そういったコミュニティ創りに励んでいる。
そもそも、コミュニティってなんだろう?
コミュニティを創って、僕たちは何をしようとしてるんだろう?
僕たちはなぜコミュニティが必要だと思っているんだろう?
そこをもっと深く考えたい。そんなことを考えてる時に、今、世界中から注目されている官民一体の社会事業を繰り広げるポートランド、そして北米大陸では最も古い村と言われている北米先住民ホピ族の村。
この現代のコミュニティと、古(いにしえ)のコミュニティ。この2つを見ることで僕たちは何か新しい何かを得られるのではないか?
web magazineの第一弾の企画はこれがぴったりではないのか?僕たちはそう思い、井垣と2人でアメリカに飛んだ!

コロラド、デンバーから、プエブロインディアンの大地を通過、Santa Feの街を楽しみ、アリゾナ州、ホピ居留地を目指す。

 

 

北米先住民ホピ族

僕が20代だった頃、北米のインディアンの精神性にすごく憧れていた。もちろん、その憧れは今も続いているんだけど、当時はこのインディアンの精神性って言うものにこそ、瀕死の状態の地球が救われる答えがあるんじゃないか?って、ほんとに心から思っていた。
カリフォルニアのシクリアン居留地、ネバダのウエスタンショショーニのローリング・サンダーを訪ね、アリゾナのディネ(ナバホ)族、ホピ族、サウスダコタのスー族の色々な部族の居留地、そしてニューヨーク州のオノンダガをはじめとするイロコイ6部族連合など、バイクと車で合計6万kmに及ぶ北米インディアンの居留地を巡る旅をして、一番好きになったホピ族の村には6回ほど訪れていた。
母なる地球を掘り起こし、資源を貪り破滅に向かう現代人に対して、日々の祈りを捧げる生活を続けるホピの人々。
本当に大事なことはここにある。地球上の人間たちが、このマザーアースに対して本来の敬意を取り戻すことが必要であり、物質的な生き方の上には破滅しか訪れない。
ホピが「バハンナ」と呼ぶ白人がやってきてから、侵略、支配、抑圧を受けながら、それでも今でも続く伝統的な生き方。「今」を生きる術を知っている人たち。彼らは常にこの「宇宙」が完全であることを知っているのだ。
だからこそ、ホピ族の居留地を訪れる企画を盛り込んでみたのだ。
白人の侵略が始まってから500年以上経つのに、今でも全ての儀式を執り行っているホピの人々。
少なくなったとは言え、今でも伝統的な生活をする人々が残っている事が、本当に驚異的だと思うし、虐げられた歴史を背負っても、平和を追い求める精神性が変わらずある事が素晴らしい。
彼らは日本人の主食が米であるように、とうもろこしという主食がある。この伝統的な食事が守られている事が、民族生き残りの一つの大きな鍵なのではないだろうか?
僕に多大な影響を与えた映画で「ホピの預言」(86年/監督:宮田雪/ Land and Life制作)というものがある。1986年チェルノブイリの原発事故が起こり、世界を震撼させたこの時、既に編集に入っていた映画「ホピの予言」は核開発によって世界に危機が訪れることを予言する、ホピの石板の預言について、また、ウラン採掘で虐げられてきたアメリカ南西部のインディアンの苦しみが描かれていた。
始まりはホピであり、ここから僕のインディアンに対する畏敬の念というか、揺るぎないその精神性に対する憧れが始まったのであった。

ホピのとうもろこし畑

ヒューマンフォーラム

今回の企画で、このホピの精神性は絶対に外したくないと思っていたが、ヒューマンフォーラムという会社がインディアンの精神性に学ぶということをすんなり受け入れたから面白い。
日本の株式会社は25年続くところは全体の0.2%だといわれているが、この会社、今年で創業25年になるアパレルの会社だ。
僕はアパレル畑は全然分からないのだが、一昨年からこの会社の中で、オーガニックに関わる部門や、社会事業に関わる部門、などなどで新しい価値を作ることに従事させてもらっている。
個人的に、創業時代からおつきあいさせてもらっているので、その歩みをずっと見ながらやってきたが、実は10年も前から京都の京北と美山で農業を始めている。無農薬の米や安納芋、野菜類を栽培し、社員たちは農業セミナーを体験するのだ。
もともとは古着屋の「スピンズ」を中心に成長してきた会社なんだけど、今は京都の本社ビルで展開している「mumokuteki」と言うブランドが、「田舎と街をつなぐ」コンセプトで、その京北と美山とをつないだコミュニティ作りを始めている。
街は街の役割、田舎は田舎の役割を取り戻すような、街と田舎をつないで、物質的にも精神的にも循環出来るようなコミュニティを作ろうとしているのだ。
昨年は味噌製造業の認可を取り、安心できるこだわった素材から作った、本当の天然醸造の味噌を作り、販売しようと企てている。
こんな変なアパレル会社あるやろか?
色々な企業が、価値を作るとか、環境に配慮するとか、ストーリーを作ることに苦労している時代に、この会社は山盛りのストーリーに日々溢れかえっている事が心からもったいないと思い、今回の「WEB MAGAZINE」の企画を考えたのだ。

mumokuteki スタッフは、田植えから稲刈り、天日干しまでを自分で経験する

アメリカの旅

デンバーの「OUTDOOR RETAILER」から、ニューメキシコのアコマプエブロ、そしてサンタフェを経由してアリゾナに向かう。途中、アルバカーキで社長の岩崎が合流する。
岩崎も井垣も自然を愛するアウトドア好き。岩崎は地球の声が聞こえるタイプ。井垣は自然から学んだことを生かしていくタイプ。
彼らと今回の旅をすることは全く違和感が無かった。おそらく、僕が感じたインディアンの精神性を彼らも感じてくれることだろうと最初から感じていたんだ。
コロラドからニューメキシコに入った頃から、どんどんバイブレーションは変わっていく。
フリーウェイの周囲が、赤褐色のデザートに変わっていくと、そこはインディアンカントリー。バイブが変わってきた事を2人とも実感しているようだ。強いバイブレーションが体を貫き、前頭葉にキーンとした緊張感が響き渡る。
今回はホピ伝統派の人たちが住むと言われているホテヴィラ村に行き、ホピのメディスンマンとして知られるエメリー・ホルメスさんのお宅に伺うことになっている。
僕とホピとの最初の出会いから一貫して変わらない関係を家族ぐるみで育んできた。最後に会ってから時間は大きく流れているが、不安は全くない。
ホピの東の入り口、ケームスキャニオン辺りから、ホピ居留地に入ってくると、周りは赤褐色の大地に奇岩がニョキニョキと生えているような不思議な地形に変わりだす。ああ、なんて懐かしいんだ。
僕自身、ホピに行くのは7回目になるわけだが、前回が2003年なので、実に15年ぶりのホピの訪問である。今までずっと仲の良かったホルメス家の人々は、今でもとうもろこしの栽培を続け、大地とつながった太古からの暮らし方を守ろうとしているのだ。
ホルメス家もそうだが、ホピでは自分たちの手で家を作る人が多い。もともと、日干し煉瓦を積み上げて家を作る民族でプエブロインディアンに分類される。
ホピの人たちの家は、大変断熱が効いていて、冬でも室内が暖かい。初めてホピに来た1993年、その時に僕がこの家の2階部分の増築を数日間手伝った経験があり、本当に懐かしい。
毎回、ここを訪れる時は、事前にオーガニックの食材を買い込んで、料理をして、それをみんなに食べてもらう。今回は僕と井垣と岩崎で料理を作ってそれをみんなに食べてもらおうと、食料を買い込んでホピにやってきた。

ロクロー、イワシ、ガッキンのHFトリオ ホピの東の入り口「ケイムスキャニオン」にて

ホルメス家

懐かしい家はほとんど何も変わらぬ佇まい。玄関をノックすると満面の笑顔でエメリーが迎えてくれる。
エメリーの奥さんミルドレッド、そして息子のブライアン、次男のJR、娘のデバイン、そしてその娘まで。その全員がロクローが来ると言うことで家に集まってくれていて、本当に嬉しい再会を果たす事が出来、岩崎と井垣も自然に彼らと和む事ができたようだ。
ホピ族は氏族の結社で構成されていて、母がたの氏族を子供は引き継ぐ。結社で学んだことは父親であっても違う結社の者には話さない。それで永い年月の間、伝統が守られて来たのかもしれない。
彼らは文字を持たず、口承で伝統や文化、神話や精神性を継承して来た。それが最も正確に歴史を伝える最良の手段であることは世界の伝統を守る民族を見るとはっきりと分かる。結社を中心に役割があり、村ごとのつながりがある。
祭事は母親の胎内を模した「KIVA」と呼ばれる地下の儀式場で行われるが、外部の者は一切入る事が出来ない。
エメリーの世代、ブライアン、JR、デバインの世代までは、アメリカの教育を拒否して伝統を守って来たが、デバインの娘はどうするのだろう?時代は変わり、電気がひかれたホテヴィラ村は15年前と変わってしまったが、僕とこの家族との関係は全く変わっていないことが心底有り難かった。
井垣が言う。
「ロクローさん、すごいですね!」
「そんなに英語下手なのに、何で伝わるんですかねー?本当繋がってるんですねー!」(笑)
そうだろう、井垣やアメリカに何年も住んでいた岩崎の方がはるかに英語は達者である。僕は昔からホピに来てコミュニケーションで困った事が無い。そんな関係性が今も変わらない事を心から感謝した。
オーガニックサラダを中心にした、ヘルシーな食事をみんなでして、親交を深め、それぞれが向かい合って話している。ほっといても井垣も岩崎も楽しんでホルメス家と関係を深めてくれてる。
僕は人と人が繋がって行く事が無性の喜びであり、今回のホピの訪問で一番のミッションは短い時間でホルメス家とヒューマンフォーラムがつながる事に他ならない。
でも、既に何も心配する必要も無いし、物事がなるように成る。普段の日本の日常ではあまり感じられない、なんとも言えない充足感に浸っていた。

後編に続く

 

ホルメス家のみんなと一緒!

後編はこちらです。 → https://magazine.humanforum.co.jp/topics/social/290/


この記事のライター

廣海 緑朗(ヒロミロクロウ)

廣海 緑朗(ヒロミロクロウ)
HF magazine

廣海緑朗 1965年生まれ。東京・北海道を経て1980年より京都在住。
1981年より音楽・アート・映像などのイベントを京大西部講堂などで企画制作する。 1987年に観た映画「ホピの預言」(監督:宮田雪/制作:Land and Life)の影響で7回渡米し、北米先住民の居留地を旅し、 居留地での核実験やウラン採掘、強制移住の反対運動に参加。
1993年から映画「ホピの予言」を制作した『Land and Life』に参加。 上映や講演で、先住民の現状や世界感を知ってもらうために力を注ぐ。 2002年以降は音楽と環境問題に視点を置いたイベントの制作を行う。 2012年、福島原発事故で放射能汚染の実態を知り、安全な食べ物を提供したいと自ら測定した食材を使ったレストラン「NONベクレル食堂」を左京区岩倉に開店。 2014年、店を三条猪熊に移し「ノンベクキッチンホテヴィラ」として開店 。 2015年、京都市議会議員選挙に市民派として立候補。2282 票で落選。 2016年、「ノンベクキッチンホテヴィラ」を閉店。食品の放射能測定は4年間で900検体に及ぶ。「NPO法人みんなの地球のくらしかた」を立ち上げ、社会事業を世に広める活動を開始。 2017年、(株)ヒューマンフォーラムの「mumkuteki」の中でイベント企画制作、カフェのオーガニック食材の仕入、goodsへの商品紹介、ファームのイベントなど、ヒューマンフォーラムのコミュニティー化に向けてその一端を担う。信頼資本財団「A-KIND塾」3期生。2児の父。

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